拒食症のこと2
2020/3/9の記録
起床時間【7:00】
就寝時間【22:00】
寝付いた時間【22:30】
ビューラック【4錠】
便通【2回 状態/泥様】
腸洗浄【0回 結果/】
おなか&おへそもみ上げ【忘れた】
朝食:リンゴとキウイとヨーグルト
昼食:カレー
夕食:蒸し野菜
その他食べたもの
午前:大豆粉クッキー
夕食後: 干し芋
体調:わりと理想的な食事ができた。
大豆粉とおからと米粉でお菓子作りに挑戦中。
焼く前の生地が好きでつい食べてしまう。
おなかの左側がずっと詰まっていて、夕飯あまり空腹にならず。
朝、標準の倍量飲んだビューラックが、寝る寸前にやっと効く。
外出:12:30 自転車2時間
イベント:
処方薬【朝食前:半夏厚朴湯 朝食後:スピルリド 夕食後:抑肝散】
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小5の終わりか小6のからかはわからないのですが、
当時はいじめられていて、これもいつから始まったのかわからない。
なんかクラスのみんなが私から離れて、ヒソヒソクスクスしてる感じに気づいて、
いつの間にか孤立していました。
私のことを話題にしている風にヒソヒソして、
私が寄っていくと笑いながら逃げる。
話しかけても無視する。
無視と孤立。
これだけなんですけど、辛かった。
で、これだけだったからこその悲劇があって、
学校に行きたくないと両親に訴えたら、殴られたり、暴言を吐かれたり、
ものを隠されたりしていないんだからいいじゃないか、行きなさい、と。
物理的被害がないと、いじめとは認めない両親でした。
絶望しました。
行きます、というまで両親と対面で2時間のお説教。
居場所のない学校。
そのうち眠れなくなって、夜中の2時くらいまで眠れないと泣いていると、
切れた母にビールを飲まされました。
母はその後、私のためにと言って宗教に通うようになりました。
そんなことするくらいなら、一言「行かなくていいよ」と言って、
抱きしめてくれたら、それでよかったのに。
今、どれほど違う人生を歩けていたかと思うと、憎しみしかありません。
その6年後、父はうつで仕事を休職します。
散々私を地獄のような学校に追いやっておいて、
むしろ頼りにされて、仕事も任されていたのに、
自分で勝手にあれが嫌これが嫌といって鬱になり、
あっさりと会社を休んで、本当にぶっ殺してやりたかったです。
でも、殺しちゃったら父は楽になってしまう。
こんなくそ親のために、私は犯罪者として生きなければいけない。
そんなの割に合わない。
泣きながら学校に行った辛さの分、家から病院から蹴りだして、
泣こうが喚こうが、会社へ突き出して、
みじめで無様なさまをさらして、
ごみみたいに生きていくしかないようにしてやりたい、と思いました。
今でも思っています。
この程度こじれるくらいには憎んでいます。
手も口も出さなくても、子供は傷を負うものです。